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ほろ酔いオレンジジュース

「何だよぉ、みなとぉ、お前全然飲んでないじゃん、ほら、飲めよ飲めよ~」
「いや、もう自分は十分頂いたんで……って先輩、勝手に注がないで下さい」
 不愉快な隣の席のタバコの匂いと騒々しい空間で、断ったにも関わらず遠慮なく果汁百%を謳うラベルの目立つ瓶を傾けて、どばどばと勢い良く橙色の液体がグラスに注がれる。むっとして正面のへべれけ顔を睨んでも、先輩はなはははと勝ち誇ったように笑うだけだった。
「ほら、出されたもんは飲んどけ飲んどけ! 別にアルコール入ってねえんだからいいじゃねえか、オレンジジュースに付き合ってくれてもよ」
「はあ……」
「いやー、ここのオレンジジュースは酸味が少なくて飲みやすいよな!」
 言いながらぐいぐいと勢い良く自分のグラスにあったオレンジジュースを飲み干して行く先輩。その頬は赤べこ並みに真っ赤に染まっていて、正直見ていて不安を覚えるレベルだ。
 いつ見ても不思議な光景だ。アルコール成分ゼロのオレンジジュースでここまで酔えるなんて、先輩の体は一体どんな仕組みになっているんだろう。飲みに誘われる店は何種類かローテンションしているし、ジュースの種類も店によって微妙に異なるから、オレンジジュース自体がおかしいわけではないようなんだが。
「あー……湊(みなと)が回ってるぅ……二人に増えてるぅ……」
 なんて改めてこの三つ年上の先輩の神秘性について考察していたら、当の先輩が空のグラスを手にしたままふらふらと左右に体を揺すり始めてしまった。さすがにあれはヤバいし、そろそろ終電的な意味でもお開きにした方が良さそうだ。
「先輩、そろそろ終電の時間です、行きましょう。支払いやっときますよ」
 立ち上がって自分の財布を手にする僕に、先輩が左右に揺れながら懐をごそごそと探ったかと思うと、そのままくたびれた黒の長財布を放ってきた。
「俺の奢りだって言っただろぉ……頼むぅ」
「……はいはい」
 僕がしっかりと財布を受け取ったのを確認して満足したのか、先輩はへらっと笑ったままテーブルに突っ伏してしまった。今日は随分と飲み過ぎてしまったらしい……オレンジジュースだが。
 これは駅までの道のりが大変そうだな、とため息を吐きながら、僕は受け取った長財布を手に会計へ向かった。

「先輩、大丈夫ですか?」
「んー……」
「水とか要ります?」
「んー……いらん」
「そうですか……じゃあ、休憩していきます?」
「んー、でも終電なくなっちまうだろー?」
「そうですけど……」
 店を出ても尚も酔いから醒めない先輩の足取りは覚束なくて、時折看板や電柱に向かって頭を打ち付けそうになるのを慌てて僕が止めに入らなければいけないほどだった。僕と先輩は駅までしか一緒にいられない。一人になった先輩が何事もなく自宅へ戻れるかどうか、今の状況を鑑みるに難しいと思うんだが。
 先輩は一人暮らしだったはずだ。誰か頼れそうな人を呼ぶとか?
「先輩、誰かに迎えにきてもらった方がいいと思います。今の先輩じゃとても帰れそうにないですよ」
 僕の言葉に先輩は相変わらずうーうー唸りながら首を横に振った。
「いやあ、さすがに時間的に無理だろ~、つーか、そもそもみっちゃん夜勤だしぃ」
「みっちゃんって誰ですか」
「んー、言ってなかったっけか、かーのーじょ! 最近付き合い始めたんだよ」
「それは……おめでとうございます」
「何だよ、よせやい、照れるじゃねえか」
 照れくさそうに笑いながら電柱の方へ向かおうとしたその体を無理矢理引き止めて、僕はため息を吐いた。
 仕方ない人だな……。
「じゃあ、僕んちに泊まって下さい」
「へ?」
「そんな千鳥足の先輩を一人で帰すの、心配ですし」
「えー、大丈夫だってー、飲んだのはオレンジジュースだけだしー」
「そうですけど、今の先輩だと線路に真っ逆さまに落ちて電車に轢かれちゃいそうですから。どうせ寝るだけなんですし、僕は構いませんよ」
「んー……けど、湊、お前自分ちに人を招き入れたくないって言ってなかったっけ」
「基本そうですけど、緊急事態ならば致し方ないですよ」
 余計なこと心配する先輩に呆れながらそう告げると、先輩はぼんやりとした目つきのまま僕を見つめ、
「……ん、じゃあ、ついでに一つ頼んでいいか?」
「何ですか?」
「酔いさましにそこのコンビニでオレンジジュースを」
「ダメです」
 だよねえ、とだらしなく笑って頭を掻く先輩。
 ただでさえオレンジジュースで酔っているという奇妙な状況なのに、それを悪化させるようなことを許可できる訳がない。泊める側の立場としても、それは頑固拒否して当然だ。
「まあお茶くらいなら出しますから。行きますよ、先輩」
 掴んだ腕をそのまま引っ張って先へ進む僕の耳に、先輩の明るい笑い声が響いた。
「あはは、湊ぉ、何か俺より先輩っぽいな~いつの間にそんなに強引になったんだぁ?」
「うるさい、酔っぱらい」

 先輩の自宅がある方とは逆の方面で二駅ほど電車で移動し、十分も歩かない内にたどり着いたマンションの一室。最初は暢気そうに笑っていた先輩だったが、眠気が体を支配し始めたのか、玄関で靴を脱ぐ時はかなり眠そうにうつらうつらしていた。……ほんとに、オレンジジュースだけなのに何故ここまでアルコールに似た症状が出るのか、僕には全然理解できない。
「先輩、大丈夫ですか。手、貸します?」
「んー……みっちゃん、水ぅ」
 ついには僕を彼女と間違える程に意識があやふやになってきたか、これはいよいよヤバいな。
「先輩、失礼します」
 玄関の床に突っ伏しかけている先輩の靴を脱ぎ去り、そのまま引きずってリビングへ運ぶ。僕がバリバリ文系のひょろっこ体型じゃなければ担いだりできたんだろうけど、まあ仕方ない。先輩の臀部のところからフローリングの床との摩擦音がして、あまりよろしくない状況になってるかもしれないなあなんて思ったけど、まあそれも先輩が泥酔していたからってことでよしとしてもらおう。
「先輩、お水です」
 冷蔵庫から取り出したペッドボトルの水を注いだコップを手渡すと、ゆらゆらと落ち着きなく体を揺らしていた先輩がまたにへらと笑ってこちらに手を伸ばしてきた。
「あは~、サンキュー、みっちゃ」
「湊ですから」
 しっかり訂正しつつコップを渡すと、先輩は一気に水を飲み干した。不愉快なアルコール臭は然程せず、むしろ隣の席から漏れていたタバコの匂いが微かに残っているだけだ。お酒好きな人間が集ううちの部署の中で、先輩のような存在は本当に不思議だ。
「あー……生き返った~酔い、醒めたわ~」
「本当ですか? まだ目が淀んでますけど」
「さっきよりマシだよ、ちゃんと湊を湊だって認識できるしな」
「胸を張って言うことじゃないです、当たり前のことですから」
「へへへ、悪いな、お前の根城に入り込んじまってよ。……ほんと、見た目を裏切られねえ小綺麗な部屋に住んでんのな、お前」
 改めて僕の部屋を興味深そうに見渡す先輩に、僕はキッチンでやかんに水を汲みながら肩を竦めた。
「面白みのない部屋ですみませんね」
「別に面白くないとは言ってないじゃんかー……おー、すげえ本棚、これ全部私物か?」
「……ええ、まあ」
 先輩が部屋の隅に置かれていた藍色の本棚へずいっと身を寄せたのを見て、思わず声音に剣呑としたものが含まれてしまう。僕の根城の中でも一際僕の心の拠り所である本棚は、一度だけうちを訪れた家族にでさえも触らせなかった。本に垢がつくといったような心配よりも、その中身を見られることで自分の内側をかいま見られるのが嫌だという気持ちの方が強いせいだ。でも仕事上の先輩で、新人の頃から面倒を見てくれた年上の彼に、家族のように「見るなよ」とあからさまに言う訳にもいかない。
 そんな僕の複雑な気持ちを悟ったのか、先輩は本棚に並んだ本の背表紙をちらりと見ただけで、すぐに苦笑いして肩を竦めた。
「俺にはチンプンカンプンだな、きっと」
「先輩は本を読まないんでしたっけ」
「ああ、みっちゃんに前に借りたケータイ小説の本、あれが精一杯だ。何が面白いのかイマイチ理解できなかったけどな」
「そうですか」
 らしいな、と思って少し笑いつつ、緑茶のティーバッグを入れたカップにお湯を注ぐ。
「湊はほんとに本好きなんだな。いつも読んでいることだけはあるなあ」
「まあ、趣味なんで」
「俺も本の一つや二つ読めたら話が弾むんだけどな」
「先輩が文学に詳しくなったら明日は嵐ですね」
「ひでえ」
 ティーバッグを抜いてお茶を先輩の前に出すと、先輩は眠そうな目をこちらに向けた。
「なあ、湊」
「はい?」
「お前ってさー……ほんと、いい奴だよなあ」
「……布団敷きます?」
「いやいや、真面目な話、ほんといつも俺ぁ思ってんだぜ?」
 そんな眠そうな目の人に言われても、としかめっ面を浮かべる僕に、先輩はまた可笑しそうに笑った。
「お前の知っての通り、俺は酒も飲めなければ仕事もできねえ、部署の足引っ張ってるトラブルメーカーって奴だな」
「そこまで自分を卑下することはないと思いますけど……大体、先輩がいなかったらうち、こんなに上手く回ってませんから」
「あはは、ありがとな。けどなあ、酒がからっきしダメってのはノリが悪いって思われちまう世知辛い世界だからなー。ましてやオレンジジュースで潰れるなんて、始めはみんな面白がるが、すぐにつまらん男として認識されて飲み会に誘ってもらえなくなっちまうんだよな」
 確かに、先輩が他の先輩社員と飲みに行く姿はあまり見たことないな。新人歓迎会とか送別会とか、そういった行事に出席するものの、アルコールやオレンジジュースを摂取する様子は見られなかったように思う。
「だから、毎回俺の誘いに乗ってくれるお前は、すげえいい奴だ、間違いねえ」
「……別に乗ってる訳じゃないですよ。先輩が勝手に連れて行くんです」
「あはは、でも最後まで付き合ってくれるし、こうして泥酔したら泊めてくれるだろ、いい後輩だよ」
 しみじみと褒められて、僕は居心地悪そうに自分の分のカップに目を落とした。
「いい後輩なんかじゃないです。僕の方こそ、付き合いづらくてノリの悪い奴だって言われてますから」
 常に飲み会を断り、積極的に会話に参加することなく、休憩時は本を読んでいるような僕。誰かとつるむのは昔から苦手で、常に自分の世界に引きこもりがちだった。でも仕事では最低限のことをやっていると思っているし、誰かに自分の世界に踏み込んできて欲しいとも思っていない。だから他人を部屋に招き入れないし、勿論彼女だって作らない。男にも興味ないし。
 別に構わないんだ。誰かに「ネクラ」だの「ぼっち」だの言われても。そんなの、今更のことだし。
「へー、何だ、湊、気にしてるのかそのこと」
「いいえ、別に。どうでもいいです。ただしょうもない陰口を聞いたことがあるだけです」
 僕の返答に先輩が驚きの表情から打って変わってにんまりと笑う。
「やっぱ、俺、お前好きだわ」
「何ですかいきなり、僕にそんな趣味はありません」
「俺だってねーよ、彼女いるし。……そうじゃなくて、人間的に好きってこった。お前のそういう何事に動じない態度ってのは、見ているこっちも何か自信が持ててくる気、するぜ」
 僕を見て自信が持てる、というのは初めて言われたことだ。僕に対する評価と言えば「付き合いにくい」だの「つまらない」だのそんなマイナスなものばかりなのに。
 むしろ先輩の方がずっとプラスの要素を感じられると思う。オレンジジュースで酔ってしまうという点を除けば、面倒見もよく、いつも人当たりのいい笑顔を浮かべているからコミュニケーション能力の高さを感じる。僕にはもったいない先輩だと感じる程に。面倒だし照れくさいから言わないけど。
「僕を見て自信を持つなんて、相当酔っぱらってますね、先輩。救えませんよ、さすがに」
「お前なー……ま、いっか。素直に受け取るのは湊らしくないもんな……ふわあ」
 先輩が大きく欠伸をする。ふと時計に目を落とせばいつの間にか午前一時を回っていた。
「そろそろ寝ましょうか、先輩。シャワー、浴びます?」
「お~……みっちゃんも一緒に入るかぁ」
「いきなり思い出したように酔わないで下さい」
「んー」
 何なんだ、この人、いきなりまた酔っぱらい始めてしまった。こうなったらもう今日は布団に入ってもらった方がいいかもしれない。
 ため息を吐きつつ、予備の布団の準備を始める僕に先輩の楽しそうな笑い声が響いた。
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