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青い天使

 久しぶりの「外」は思いのほか暖かくて、居心地のいい世界だった。背中の翼が水を得た魚のように生き生きと動いてくすぐったい。真新しい制服のスカートを短めにしたせいで、ちょっとの揺れでもすぐに捲れそうになるのが少し嫌だけれど、憧れだった「オトナ」になれたのだ。これくらいは我慢しなくちゃ。
「さて、と」
 僕の背丈の何倍もあるビルを見上げながら、くんくんと鼻をひくつかせる。
 目的の匂いは、南から漂っている。迷わずそちらの方へ革靴に包まれた足を踏み出すと、耳が嬉しそうな人々の歓声をキャッチした。幸せな匂いは、幸せな声を引き寄せる。そういう場所には、僕たちも自然と集うのだ。
 銀色の十字架が掲げられたクリーム色の教会。ビルだらけのこの土地には少し不釣り合いのような気もするけれど、漂ってくる幸福の匂いは田舎町に佇む教会と同じものだ。さっきよりも背中の翼もひくひくと動いて、その幸せの匂いに敏感になっている。
 さあ、記念すべきオトナとしての初仕事に行こう。
 そう意気込みながら教会の門扉を通った僕が見たのは、幸福そうな笑顔を浮かべる新郎新婦……ではなく、僕に背中を向けた青い制服に身を包んだ「天使」だった。
「え」
 一瞬、何かの見間違いかと思って目を擦ってみたけど、やっぱりその背中から生えているのは僕と同じ「天使」の翼で、纏っている制服の色も白じゃなくて青だった。青い制服の天使。それはつまり……いや、でもこんなにあっさりと出会えるものじゃないはずだ。
 僕が話しかけようか躊躇っていると、青い制服の天使は僕の方をくるりと向いた。その瞳に嵌め込まれているのも寒々しい「青」で、僕は思わず身を退いた。
「……あ、あの……」
「行かないのか」
「え」
「仕事に来たのだろう? 今が最高潮に匂いが充満している」
 す、とその白い指先が教会の奥を指差す。確かに匂いは強くなっているし、今がまさに仕事時だというのも分かる。
 だけど、「青い天使」に遭遇したということが、僕の足を止めてしまっている。
「どうした、天使。行かないのか」
「君は……」
「私が仕事をしてしまったら、君の初仕事はなくなってしまうぞ」
「っ!」
 やっぱり。
 青い天使の役割は、白い天使のものとは違うのか。
 僕の表情を見て何を思ったのか、青い天使は薄らと笑みを浮かべた。
「下界と天界は真逆の世界になってしまったな。そうは思わないか、若き天使よ」
「……無限の幸せは、人間しか生み出せないものだよ。僕たちは今までそのことを知らずにただ限りある資源である『幸せ』を人間に与えてきてしまった。真逆の世界になったんじゃない、元々こういう世界だったんだよ、下界も天界も」
「本来の私たちは人間に『幸福』をもたらす存在。それを忘れて己の存在を守る為にエネルギーを搾取するのはその定義に反するのではないか」
「だって、そうでもしないと……人間に幸せを与えるどころじゃなくなってしまう。それに人間は自分で幸せを、しかも無限に生み出せるのだからいいじゃないか。天使はもう、人間に何かを与える役割なんてないんだよ」
「そうか」
 青い天使は静かに瞼を閉じて、再び僕に背を向けた。
「天使はもう、与えることを完全に放棄しているのだな」
「与えるものなんて、何も無い……ただ自分たちが生きるのに精一杯だ」
「……そうか」
青い天使がスカートのポケットを弄り始めた。その白い指先が捉えたのは、青い薔薇だ。
「……青い天使」
「……お前達は私たちを『奇跡』だと呼ぶが、私たちとて、人間に無限の愛を注ぐことはできぬ。いつかは力つきて、消えて行く存在だ」
 だが、と青い天使の手のひらから青い薔薇の花びらが舞い上がり、教会の奥へ吸い込まれて行く。幸せの匂いが更に濃くなり、僕はその強い香りに思わず膝をついた。
 そんな僕を再び振り返った青い天使は、静かな声で語りかけてきた。
「若き天使よ。私はお前達の生き方を咎めるつもりはない。それもまた、生を受けたものの生き様というものだからな」
「……君が生む幸せは、人間を幸せにしても、僕ら天使を救う訳じゃない。それでも、君は人間に愛を与えることを止めないのかい」
「それが、私たち天使に与えられた天命だと、信じる限りはな」
 そして青い天使は地面を蹴って、姿を消した。青い薔薇の花弁を僕の頭上から降らせながら。
 ひらり、と顔に張り付いてきた花弁を一つ指先でつまみ上げる。幸福の味がする、青い薔薇の花弁。けれどそれは僕たち天使にとっては何のエネルギーにもならない。
 教会の奥から漂う幸福の匂いも、そうだ。青い天使がもたらした力で、全て青に染まってしまって、そこから僕らのエネルギーとなるものは何も取れない。
「……僕たちのしていることは、神様の考えに背いているのかな」
 ぽつりと漏れた僕の言葉に応えるように、教会の鐘は清らかに鳴り響く。
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