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先輩と夏目漱石

※ケータイ小説についての話題が出てきますが、左記のジャンルを貶す意図はありません。
昔は私もファンタジー系をよく読んでたりしました。


「もしかして、来栖くんじゃない?」
 仕事の帰り道の、小雨の中のバス停留所にて。
 振り向いてみたら、そこにはパステルイエローの傘を差した血みどろの女が一人陽気な笑顔を浮かべて立っていた。
 ……ああ、違う違う、血みどろは僕の妄想。直前まで見ていたホラー小説のせいだ。
 もう一度よく見て。黒髪ロングに白いスーツの女性。チャーミングポイントは笑った時に見えた白い出っ歯。パステルイエローの傘が彼女の笑顔を眩しく照らしているように見える。
「……えと、蓮元せんぱい、ですよね。K大の……」
「そうそう! わー、久しぶりー! 相変わらずもやしっこだねー、ちゃんと食べてるー?」
 蓮元せんぱいにぐりぐり頭を撫でられて、つむじが少し痛んだ。
 ああ、でも懐かしいな、この感覚。
 蓮元せんぱいは僕と同じK大に通っていた一つ上の先輩だ。日本文学のゼミで遭遇しては、当時からもやしっこで人と話すより小説を読むのが好きなコミュ障の僕をこうして構ってくれていた数少ない存在だった。
 せんぱいが卒業してからは一度も会ってなかったから、会うのは二年ぶりくらい、かな。なのに、僕の隣に立つ少し大人びたせんぱいは不思議と馴染んで、嫌な気が全然しなかった。
「やー、来栖くんは相変わらず構いたくなるオーラが出てるねー。それに小説と相変わらずお友達だし」
「まあ、小説がないと落ち着かないところはありますけど」
「そうそう、君のお陰でね、私も小説を読むようになったんだよねえ。今でもお勧めしてくれた夏目漱石の『猫は我輩である』は私の中のバイブルだかんねっ!」
「せんぱい、『我輩は猫である』ですよ」
「ありゃ、そうだっけ」
 なはは、間違えたー、と明るく笑うせんぱい。
 本当に今でも小説を読んでいるのだろうか、すごく怪しいところだ。
 せんぱいは日本文学ゼミに所属していながら、小説というものを読んだことがなかった。どうやらゼミの先生が全体的に緩くて参加さえすれば単位を安易にくれるところがあるから、というだけで入ってしまったらしく、僕が入ったばかりの頃もよく寝ていたっけ。最終的には先生も起こすのを諦めて、せんぱいの寝言をBGMにゼミの授業を進行したこともあったものだ。
 それでも、卒業論文のときはすごく悩みに悩んでいたせんぱい。
 僕が勧めた夏目漱石の本をボロボロになるまで読んで、提出期限当日まで頑張っていた姿はよく覚えている。
『やった! 勝った、勝ったよ、来栖くん! 私はボス・夏目漱石に勝ったのよ!』
 提出を終えたせんぱいが嬉しそうに僕の周りを回る。まるで昔暇つぶしで読んだRPGゲームのノベルズの主人公のように、世界を混沌に陥れていた魔王を倒したかのように宣言するせんぱいに、僕はひたすら苦笑が止まらなかった。

「ところでせんぱい、最近は何を読んでるんですか」
「うーんと……ケータイ小説?」
 いきなり専門外のジャンルを言われた。ケータイ小説は斬新過ぎるようで、「ケータイ小説は文学ではない」って言われてたりもするから、僕は全く読んだ事がないけれど。
 何か面白そうなのがたくさんあるんだよねー、と真っ白なスマートフォンを操作しながらお勧めの小説を見せてくれた。
「『絶対本命彼氏』……何だか改行ばかりで読みづらいんですけど」
「そかな? あり得ない展開が続いて面白いよー。お腹が捩れるくらい笑えるからさ」
「……小説紹介に『切なくて泣けるラブストーリー』ってあるんですが……」
「あ、ホントだ、あはは」
 あはは、ってせんぱい……。それにしてもケータイ小説をまじまじと読むのは初めてだけど、やっぱり文庫本の方がいいな。こう、手に持ったずっしり感がないと落ち着かないし、指で捲る感覚も慣れない。内容は、何とも言えないけれど。
「僕はやっぱりアナログでいいです。ケータイもインターネットは使わないので」
「そっかー。でもそうだね、君と言えば鞄に三冊は文庫本を常備してるレトロな文学少年だし、スマホでげらげら笑う姿は似合わないかもだね」
「似合わないどころか、悪夢ですよ、そんなの」
 少し想像してしまったじゃないか。
「まー、それはともかく。うん、来栖くんに再会したら、久々にアナログ小説も読みたくなっちゃったな。『ねこわが』はホントに面白かったし、あれのお陰で卒業論文も書けたようなものだしね」
 『ねこわが』……ああ、それを言うなら『わがねこ』ですよ、というツッコミは胸の奥へしまっておく。
「何かお勧めある? できればねこわがと同じ、なつめんのがいいなー」
「なつめんってせんぱい、最早誰なんだか分かんないですよ」
「ええー、いいじゃない。私となつめんは卒業論文という一生に一度の絆で結ばれているのだよ」
 確か、卒論提出時は「ボス」とか「悪の大魔王」とか言ってなかっただろうか。
 えへん、と胸を張るせんぱいに苦笑いしていると、僕の後ろにちょうどバスが到着した。
「あ、来栖くん、このバスに乗るの?」
「はい」
「そっかあ、残念。私、今この近所に住んでるんだよねえ。来栖くんも近所さんだったら、これからなつめん談義でもしようかと思ったのになー」
 ちぇーと唇を尖らすせんぱいに、僕はふとあることを思いついた。ぺたんこのビジネスバッグから一冊の文庫本を取り出すと、躊躇う気持ちを抑えながらせんぱいに差し出す。
「? こころ?」
「はい。夏目漱石の、『こころ』です。一応切ない恋愛もの、の要素もありますが、『我が輩は猫である』とは少々テイストが違っていて、読み応えありますよ」
「ふぅん……?」
「せんぱいの感想が聞きたいです。ですから、またこの時間、この停留所でその感想を教えて欲しいです。今日は無理ですけど、また今度なら……談義する時間、作ります」
 すると、せんぱいの瞳が出っ歯と一緒にきらきらと輝き、僕が差し出したその本を大事そうに胸に抱きしめた。
「うんうんっ! 読む読む、読んじゃう! 一晩で読んじゃうから!」
「せんぱいの読書ペースからして、それはないですよ。一週間くらい時間空けませんか」
「やだやだ、来栖くんに早く感想伝えたいし! 明日にでも」
「いや、せんぱい、無理でしょ」
「……三日! 三日で手を打とう!」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫っ! えへへ、何か大学時代に戻ったみたいで楽しいなあ。来栖くんとのなつめん談義、私のゼミでの一番の思い出だったから、またこうしてできるの嬉しいな」
 そんな嬉しい言葉を明るく言ってくれるせんぱい。僕なんかを気に入っているのはどうかと思うけれど、その懐の温かさは確かに、僕にとってもいい思い出なわけで。
 冷たい雨が、一瞬にして温かなシャワーに切り替わったような、そんな不思議なぬくもりに包まれているような気分だ。
「じゃあ、せんぱいの健闘を祈りつつ三日後に」
「オーケーオーケー! なつめんと久々に向き合ってくるよ」
 じゃね、と片手を挙げて、パステルイエローの傘をくるくる回しながらせんぱいが遠ざかっていく。ゼミのハリケーン、なんてあだ名がついてたけど、本当にせんぱいは僕にとってイレギュラーな人だ。本の世界に閉じこもっていた僕に嵐のように現われて、それまで停滞していた人との繋がりを持たせてしまったのだから。
 バスの運転手さんがいつまでも乗り込まない僕に「乗らないんですか」と声を掛けて来た。そうだった、と慌てて入り口の階段を踏み出した僕に、ぽん、と軽い衝撃が。

「来栖くんっ、メアド教えてっ! 忘れてた!」
 振り向くと、向日葵のようなパステルイエローの傘が一つ。
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