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本の少年

僕がシヅルと出会ったのは、同じ保育園に通っていたときのこと。
 シヅルはいつも、腰まで綺麗に伸ばした黒髪を時折揺らしながら、そのふっくらとした桃色の指先でページを捲っていた。他の子がおままごとや折り紙などの遊具で夢中な中、彼女だけはいつも親が迎えにくるまで、ひっそりと本棚の右隣に空いたスペースにちょこんと座り込んで、ずっと本の世界に没頭するのだ。
 そのせいか、あの頃のシヅルはコミュニケーション能力の低い子と認識されていたらしく、先生達が度々友達の輪に入れようと必死になっていたのを薄ら覚えている。誘っても「ごほんがよみたいの」の一点張りで動かなかったシヅルの横に、ある時僕が近寄っていったんだ。
『いっしょに、よんでもいい?』
 シヅルは、ぱっと顔を上げて僕の顔をまじまじと見つめたあと、小さく首を傾げた。
『ひらがな、よめる?』
『ううん、よめない』
『じゃあ、わたしがよんであげる』
 ふわりと彼女の唇に浮かんだ花の微笑み、そして先生が語るよりもずっと聞き心地のよい柔らかな声音。
 僕の初恋は、ここから始まった。

 シヅルとはその後も小学校、中学校、高校と同じところに通った。
 相変わらず友達の少ないシヅルだったけれど、その本好きは変わらず、彼女は常に本と共に過ごしていた。
 そんな彼女のお気に入りは、外で本を読む事。
 例えば、校庭の傍のベンチ。例えば、中庭の一番大きな木の下。
 僕は、少しでも彼女と同じ気持ちを共有したくて、いくつもの本を手にして彼女のよく見えるところで本を読んだ。
 例えば、ベンチから少し離れたところにある積まれたタイヤの上で。
 例えば、中庭の、一番大きな木の近くで。
 保育園時代に読んだ絵本ならばともかく、挿絵がなく文字ばかりの本に最初は唸ってばかりいたけれど、気がつけば僕も自分の心の中に本の世界を持っていた。英雄が悪を絶つ冒険ものから、女性が男性の心を留める為にその命を奪う恋物語まで、彼女が読んだものは勿論、図書室にあるものは片っ端から読んでいった。
 時折、図書室で遭遇した彼女が、僕の持っていた本を見て、
『あ、ミツルくんもその本が好きなんだ』
 と頬を緩めてくれるのが、何よりの至福だった。
 だが、そんな大好きな彼女と僕は、積極的に会話することはなかった。むしろ、年を取るにつれてどんどん口をきかなくなっていったけど、すぐ近くで彼女が楽しそうに本を読んでいる姿を見る事さえできれば、それが僕にとっての幸いで。

 今日もその桃色の指がページを捲る傍で、僕もページを捲る。
 その幸せだけが続けばいいと、思っていたんだ。

 だけど、どんな物語にも終わりというものが必ず存在する。
 高校生最後の夏休み。塾に行く途中の本屋で彼女の後ろ姿を見た。
 昔から変わらない、腰まで伸びた黒髪が揺れて彼女の右隣にいる大学生風の男の腕に触れる。すると、男の手が彼女の頭にゆっくりと伸びて、優しく撫でていくのだ。
 彼女が笑う。その微笑みはまさしく、隣で絵本を朗読してくれた時のものと同じだった。

 夏休みが明けて、一ヶ月。彼女がこの中庭の、あの大きな木の下で本を読むことはない。
 それでも僕は、本を読み続ける。ただ、最近は恋物語を読むとどうしても胸がいっぱいになってしまって読む事ができない。まだまだ高校の図書室の本は読み終わってないのに。きっと、卒業してもしばらくは読めないだろう。
 ぱらり、とページを捲っていく。その音が心地いいものだと教えてくれた人は多分、もう僕の前には現われないだろうけれど、本だけは僕の傍を離れない。
 それで、いいことにしよう。
 ぱらり、ぱらり。
「あのー……」
 不意に声をかけられ、僕はページを捲るのを止めて声のした方を見上げた。
 揺れる茶髪のショートカットに、短く折ったスカート。ぶかぶかの制服の袖から覗く白い指と、見慣れた藍色の表紙の本。
 気弱そうに揺れた大きな瞳が、僕を見ている。
「あの、一緒に、読んでもいい、ですか……?」
 懐かしい台詞と共に吹き込んできた秋の風が、僕の額を優しくなぞった。
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