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バゲット一つ、それから

 銀色やかんがぴぃぴぃ鳴り出したら、それは開店の合図。私がクルミ色のドアのつまみをくるりと回すと、カウンターで寛いでいたちっちゃな体が大急ぎで慌てて私の頭の上の三角ずきんに身を隠す。もこもこ、と忙しない赤白チェックの頭巾を両手で整えて、私はドアを開放した。
 外は、じん、と身がしまる程寒い。

「おはよう、お嬢さん」
 太鼓のようにお腹にぼぉんと響く低い声がして、お皿を拭いていた私は待ってました、と言わんばかりににんまり笑って振り向いた。
「おはよう、おじさん。今日も一番乗りだね」
「早起きだけが取り柄だからね。今日もお願いするよ」
「はい、ブルーベリージャムたっぷりサンド、ですね」
 おじさんの両手に抱えられていたバゲットを受け取ると、頭巾がまたもこもこと動いて、ぴょこんと私の頭からちっちゃな体が飛び出して来る。「ヨハネス二世」が自分から進んで挨拶をしに来るお客さんは、おじさんくらいじゃないかな。おじさんの手の肉球に撫でられると、豆粒サイズの尻尾がぶんぶん嬉しそうに震えるから。

 おじさんは、いつもお店奥の窓際のテーブルで新聞を読んでいる。でもお店に誰かがやってくる度、新聞を読む手を止めて、「やあ、おはよう」と声を掛けている。私の「いらっしゃいませ」よりも早いから、お客さんの中には、おじさんがお店のオーナーさんだと思い込むひともいるみたいだ。おじさんは私よりずっと年を重ねて背中もちょっぴり曲がっているけど、お客さんと仲良くなったりおしゃべりをするのがすごく得意だから、ある意味おじさんはこのお店の看板みたいなものかもしれない。
 おじさんが持ち込んだバゲットの表面を軽く焼いて、ざっくりまっぷたつにすると、上の棚に並んでいた赤紫色の瓶を取り出す。蓋を開けて甘酸っぱい匂いを放つそれをたっぷりバターナイフで掬い取ると、ふかふかの白い生地の上に広げた。
 紫色の輝きをバゲットの間にしっかりと挟んで、花柄のペーパーでくるんと巻いて仕上げると同時に、ヨハネス二世がきゅうきゅう、と私に何かを催促をする。ちょっと考えてからチーズの欠片を渡したら、そうじゃないと言わんばかりにそっぽを向いて、鼻先をやかんに向けた。ああ、いけない。コーヒーの存在をうっかり忘れていた。

「お待たせしました、遅れてごめんなさい」
 ヒゲを軽く揉みながら新聞を読んでいたおじさんの前に、ブルーベリーサンドとコーヒーを並べると、ちょうど窓際からうっすらと日の光が差し込んだ。この町には珍しい自然の光を受けて、ベリーがきらきらと宝石のように輝く。
「ありがとう、お嬢さん。今日も美味しくいただくよ」
「ふふ、どうぞ、召し上がって下さい」
 さくり、とおじさんの口の中で小気味よいバゲットの音が響く。お店の中では色んなひとが色んなパンを口にしているけれど、おじさんのバゲットをかじる音を聞くのが私はとても好きだった。だってとってもお腹が空くんだ。お腹が空くと、とびきり美味しいものを作りたくなって、早く次のオーダーが来ないかカウンターでわくわくしてしまう。
 そわそわする私の視界の中で、たくさんのお客さんを見つめながら、おじさんが体を丸めてゆっくりとバゲットをかじっている。こうして見比べると、ふわふわの毛並みの子供や、若い子たちと違い、年老いたおじさんの毛並みは灰色でぺったんこだ。コーヒーカップを掴む両手もぷるぷると危なげに震えていて、一口飲むのに見ているこっちがハラハラしてしまう。このお店に初めて来た時も随分年を取ったひとだなあって思ったけれど、今よりずっと背中も綺麗に伸びていて、コーヒーを持つ姿も様になっていた。

 年を取ると、どんどん弱って行く。そしてある日突然、空気になってしまったかのようにその姿が消えてしまう。それがひとが年を取った末の「さいご」なのだと聞いたことがある。私は、ずっとみんながみんなで永遠にこのままでいられるとまでは思っていない。でも、年を取って消えるという、その未来を想像できる程、長く生きている訳じゃない。それが自然の摂理なのだと教えられても、やっぱり寂しいものは寂しく感じてしまう。
 おじさんがある日突然いなくなってしまったら。寂しいに決まっている。
 だから、私は誰よりも遅く食べ終わり、トレイを戻しに来たおじさんに言った。
「おじさん、明日も来てくれるよね」
 おじさんは摘みたてのブルーベリーのような丸い瞳をぱちくりさせて、私を見た。その時、私はとても情けない顔をしていたに違いない。おじさんが口元を緩めて最初に言ったのは、「お嬢さんらしくないなあ、その顔は」だった。
「お嬢さんはこのお店の太陽なんだ。常にぽかぽかと温かく包んでくれる笑顔が私は好きだよ」
「おじさん」
「だから、笑顔を濁らせてしまうことを言うのは気が引けるのだが、私にはどうしていいか分からない。何せ、自然の摂理だからね。明日、消えてもおかしくないくらい、年を重ねてしまった」
「分かるの?」
「お嬢さんにも、その時が来たら分かるさ。理屈じゃない、本能みたいなもので分かってしまうんだ。ブルーベリーがとっても美味しいのと同じ、理由なんてなくね」
「それでも、私は寂しいです、おじさん」
「ありがとう。そう言ってくれるお嬢さんは、私にとっても大切なひとだよ」
「何か、何か私にできることはない?」
「もう、十分過ぎるくらい、美味しいブルーベリーサンドとコーヒーを貰ったよ」
 おじさんはトレイを抱える私の腕をぽんぽんと優しく撫でて、ゆっくりと踵を返してしまう。
「おじさん」
 私が呼びかけても、おじさんは振り向かず、のそのそと出口に向かって行く。
「おじさん、その時が来たら教えて下さい。そしたら私、とびきり美味しいブルーベリーをおじさんにプレゼントします」
 咄嗟に頭に浮かんだ言葉をそのまま告げると、おじさんはひげを震わせた。
「ありがとう、お嬢さん、ごちそうさま」
 
 おじさんは、今日もたったひとりでお店で過ごしてたったひとりで出て行ってしまった。

「こんにちは」
 唐突に聞こえて来た声に、私は思わず「きゃっ」と叫んで持っていた包丁を落としてしまった。同時に傍で寝ぼけていたヨハネス二世も驚いて、ちっちゃなおしりを向けてぷるぷる震え始める。
 慌てて振り向くと、お店のドアは開放されていた。まだ鍵、開けてないのに、という気持ちと、あれ、私昨日鍵掛けたっけ、という気持ちでごちゃごちゃになった私が立ち尽くしていると、カウンターの下がかたかたと小さく震えた。
「ここ、ここにいるよ」
「あ、い、いらっしゃい、ませ」
 カウンターからにゅっと現われたのは、ふわふわの灰色の毛並みをした小さな男の子だった。片手に小振りのバゲットを持って、マスカットのような瞳を私に向けている。
「あの、ここではパンさえあればごはんを出してもらえるって聞いたんだけど、本当、ですか?」
「は、はい」
「おねがいします、ぼく、おなかへって、しかたがないんです」
 言う傍からきゅるる、と男の子のお腹の虫が騒ぎ出す。私は慌てて男の子からバゲットを受け取った。
「えっと、二つに割ってサンドイッチにしても、いい?」
「はい」
「何が食べたい?」
「えっと、ジャム。青くて目玉みたいなあまずっぱい、くだものの、ジャムはありますか」
 青くて、目玉みたいなジャム。そう言われて私が視線を向けたのは、まな板の傍に置いていたブルーベリージャムの瓶だった。
 
 男の子はマスカットの瞳を三日月型にして、口一杯にブルーベリージャムサンドを頬張っている。もりもりと力一杯の、いい食べっぷりだ。目の前で洗い物をする私と視線が合うと、にっこりと愛想の良い笑顔を浮かべる。ふわふわ毛並みでしゃんとした背中なのに、何故かその姿に朝一番にやって来る常連客のおじさんを重ねてしまう。とはいえ、さすがにコーヒーは苦すぎると思ったので、代わりにホットミルクを出した。
「おいしい、ぱんやさん、とってもおいしいよ」
「良かった。ブルーベリー好きなの?」
「ぶるー? このいろのジャムのこと?」
「そうだよ。味は知ってるのに、名前は知らないんだ」
「うん。おかあさんがむかしいっぱいつくってくれてすきだったんだけど、わかれてからたべれなくなっちゃったから。もう、たべれないとおもってた、うれしい」
 口の端に付いたジャムをぺろっと舐める男の子に、私は「どうしてわかれちゃったの」と尋ねた。すると、男の子は耳をぱたり、と伏せてミルクを舐めながら言った。
「よくわかんない。いっぱいこわいものがふってきて、かぞくみんなでにげてたんだ。そしたら、いつのまにかみんなばらばらになっちゃってた。おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、おねえちゃん、いもうと、いっぱいいたんだ。でも、いまはぼくひとり。だから、ジャムサンドもたべれなくなっちゃったの」
「寂しいね」
「うん。でもね、もうすぐみんなにあえるんだ。いまから、あいにいくの」
 だから急がなくちゃと、こくこくとミルクを飲み干そうとしてむせる彼に、ヨハネス二世が面白そうにきゅきゅ、と笑う。彼はそんなヨハネス二世を撫でると、カウンターから立ち上がった。
「ごちそうさまでした、ぱんやさん。とってもおいしかったよ」
「もう、行くの?」
「うん、まってるから、みんな」
 じゃあね、と駆け出しそうになる彼に、私は慌ててカウンターから飛び出して、その小さな体にブルーベリージャムの瓶を抱えさせた。目を丸くする彼に私はその小さな手の上に自分のそれを重ねた。
「みんなで仲良く、美味しく食べてね。私から、君と君の家族に」

 その日以降、私のお店で、あの奥の窓際の席でチーズサンドやハムサンド、ストロベリーサンドはあっても、ブルーベリージャムサンドが食べられることはない。またブルーベリージャムサンドが頼まれることはあっても、あの席につくひとはいなかった。
 そう意識してしまうと、私はひどく寂しい気持ちに駆られてしまって仕方なかったので、ある朝、思い切って余ったバゲットでジャムサンドを作り、おじさんのかつての指定席に腰掛けた。どんより曇っていて、ジャムサンドの上に光が差し込む事は無い。やっぱりあれは、おじさんがいたからこそ輝いていたのかもしれない。おじさんだけの特別な、ブルーベリージャムサンドだったからこそ。
 だから私がさく、と一口食べてみても、あの美味しいものを作りたいと思う気持ちは沸いて来ない。むしろ、早くお店を開いてお客さんが来てくれないかなあとさえ思ってしまう。おじさんが来ないことは、もう分かっているけれど。
 あの日渡したブルーベリージャムは、相変わらず彼の心を弾ませているだろうか。彼の大好きな家族にも、食べてもらえているだろうか。もし、あの笑顔がどこかできらきらしているのなら、少し私の寂しさも紛れる気がする。
 おじさんが好きだったブルーベリジャムサンドとセットにしていた、ヨハネス二世が吟味したコーヒーを恐る恐る口に運ぶ。うーん、コーヒーは苦手だ。でも、おじさんが言ってたっけ、「お嬢さんにも、これの良さが分かる日がくるさ」って。その日が来た時に、またゆっくり飲んでおじさんの笑顔を思い出せば、いいか。

 ヨハネス二世がぴょこん、とカウンターに顔を出してきゅう、と小さく鳴く。それが私の、朝食の終わりを告げる合図。
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