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幸福な少年

※お久しぶりです。タイミングを見失って留守状態ですみませんでした。

 一目惚れ、というのはこの年齢になってもあるものなのだと、本当に驚いた出来事だった。
 知人の付き合いで入り込んだ裏世界の入り口。そこで繰り広げられるのは、人間が人間を売るという気違い染みた、しかし暗黙の了解で許されていた闇の市場。
 私の目を引いたのは、その中でひっそりと佇んでいた人形のような彼だった。
「ソイツに目が行くとはアンタ、なかなかいい目をしているねぇ」
 彼の小さな後頭部を掴み、闇市の主がシンナーの臭いを飛ばしながらこちらに身を乗り出して来た。それに不快さを感じたが、目の前でじっと私を見上げる少年への高まる思いを無視できなかった。
「……幾らでしょうか?」
 私の問いかけに闇市の主が下卑た笑みを浮かべて金額を告げる。それはこの少年を買うには少々安い値段だと思ったのは、彼があまりにも綺麗に整った顔立ちをしていたからだろうか。
「まいど。ほら、こいつはアンタのもんだ」
 少年の後頭部を強く押して、私の方へ向けると、彼はこくりと頷いてこちらへ歩み寄って来た。彼の首に付いていた拘束具と繋がっている鎖のリードを闇市の主が私に差し出したが、私は受け取る代わりに彼の首輪を外してくれと告げた。
「オイオイ、折角手に入れた奴隷を逃がしちまうつもりかい、アンタ」
 主の訝しげな声と同時に少年も驚いたようにその美しいサファイヤの瞳を見開いて私を見つめる。
「そのような無骨な拘束具は、彼には似合わない、そう思っただけですよ」
 正直に思ったことを告げると、主は肩を竦めながら少年の拘束具を外してくれた。そこから現れた首もとはまだ白くて艶があり、拘束具の縁によって傷つけられたらしい新しい引っ搔き傷くらいしか見当たらなかった。売られて、まだ間もない少年だったようだ。
 私は戸惑いの色を隠せない彼の前にしゃがみ込み、にっこりと笑った。
「さあ、行こうか。光の世界へ」


「おはようございます、旦那様。食事の準備が整いました」
 朝の日課である読書に勤しんでいた私の部屋に、彼のーー凛とした声が響いた。
「ああ、分かった。……リン、寝室の清掃を頼んだよ」
「はいっ」
 健気に返事をして部屋に入って来たリンは、すっかり手慣れた様子でベッドメイキングを始めた。初めて来た頃は何をしていいか分からず棒立ちだったのが懐かしい。それもほんの数日だけのことで、仕事内容を完璧に覚えた後は使用人の中でも一番の働き者になった。どんな仕事でも進んでやるものだから、私もついつい彼に甘えてしまう。その代わり、まだ言葉遣い等は未熟だが、それも年相応が滲み出ていて、むしろ愛らしさを覚える程だった。
「リン、今日は出かける用事がないから君の勉強を見てあげられるよ。後で勉強道具を持って来なさい」
「えっ、で、でも……」
「ん? 何か不都合なことでもあるのかい?」
 俯いてしまったリンに首を傾げて尋ねると、何度か迷う素振りを見せながら本当に小さな声で彼が答えた。
「エリザベス様が……お許しにならないと……」
 ああ、ベスか。なるほど、私の留守中にまた彼に何か良からぬことを吹き込んだのだな。
 私より一回りどころか二回りも年の離れた妻の嫉妬深さにため息を吐きつつ、私は俯いたままのリンの頭に手を乗せた。
「リン、お前の雇い主は誰かね」
「そ、それはっ、もちろん、旦那様です」
 顔をぱっと上げて必死に答える彼を見つめ、私はゆっくりと彼の体に染み込ませるように言葉を吐き出した。
「そう、ベスは私の妻だがお前の直接の雇い主ではない。あくまでお前は私が雇った身なのだ。だから、ベスに何を言われようと、私が気にするなと言えば気にしなくていいんだ」
「旦那様……でも……」
「ベスはなかなか気性の激しい女だからな、お前が怯むのも仕方ない。だが、心配しないで。待っているからね」
 再度頭を優しく撫でると、リンは無邪気な笑顔ではい、と返事をしてくれた。

「パパー! リンいるー?」
 リンと二人、書斎で文学の勉強していると聞き慣れた慌ただしい足音と明るいソプラノが聞こえてきた。驚いて青い瞳を見開き固まるリンに私は苦笑しながら、やってくる小さな客人のために先にドアを開けてやることにした。
「やあ、エリサ」
 ドアの向こうから飛び込んで来たのは、私の最愛の娘のエリサだ。母親譲りの凛々しいエメラルドの瞳に触り心地のよいウェーブ掛かった金色の髪を肩まで伸ばし、頭に私が八つの誕生日の時に贈った純白のシルクのリボンを身につけていた。
「こんにちは、パパ! あっ、やっぱりここにいたのね、リン!」
 紅茶色のスカートを揺らして私の横から書斎の中を覗き込んだエリサが歓声を上げる。
 リンの方に視線を寄せてみれば、曖昧に微笑む彼の姿があった。
「こ、こんにちは、お嬢様」
「こんにちは、じゃないわ、リン! 大事な仕事を放り出して何してるのよ!」
 白い頬を風船のように膨らませ、私の横をすり抜けたエリサはそのままリンに詰め寄る。エリサの拗ねた顔を目の前に突きつけられたリンはおどおどと視線を私に向けながら、もじもじと体を揺らし始めた。
「ご、ごめんなさい、お嬢様……旦那様に勉強を教えてもらっていて……その……」
「ひどいわ! あたしとパパ、どっちが大事なの、リン!」
「……そ、それは……」
 リンの瞳に涙がにじみそうになったところで、私はようやくこの誰に対しても強気な娘を止めるために動いた。
「こらこら、エリサ。リンが困っているだろう、止めなさい」
「むーっ」
 エリサとリンの間に入り、膨れっ面の娘を窘めると、エリサは恨めしげに私を見上げた。
「ひどいわ、パパ、リンを独り占めするなんて」
「悪かったね、エリサ。しかし、ここのところ私の仕事が忙しくてなかなかリンの勉強を見てやれなかったものだからね、毎日リンと遊べるお前とは過ごせる時間が限られるんだ、今日くらいは許してくれないかい」
「だーめっ、ママがお出かけしてるんだから、中庭のテーブルでリンとお茶を飲むの!」
「おや、ママがいるとダメなのかい?」
「ダメ。ママ、リンのこと嫌いだもん」
 あからさまなエリサの言葉にリンの表情がすぐさま強ばる。その態度を見て、普段ベスがリンに対して冷たい態度を取っているんだと改めて実感させられた。育ちのいいベスは富の豊かな世界以外受け入れない気難しいところがある。だから最初、このリンを養子として迎え入れたいという私の言葉を即座に却下したのだ。
『その汚い身なりの子どもを自分の子と思えだなんて、この上ない屈辱ですわ』
 出来れば養子にしたかったが、妻の毛嫌いっぷりにそれを諦めざるを得ず、とりあえず使用人として雇うことだけは認めてもらった。それでもリンを普通の使用人と比べて寵愛し過ぎだと妻から釘を刺されることもあるが、こればかりは私も引けない。
 一目惚れした彼を見て、思ったのだ。私が守ってやらなければと。
「ねえ、リン。お勉強なんて退屈でしょ? あたしとお茶しましょうよーぅ」
「お嬢様……」
「リン、私はどちらでも構わないよ。お前が今したいこと、好きな方を選びなさい」
 その言葉にますますリンの眉が寄ってしまった。使用人は主の命令に従い行動する。その原則を刷り込まれたリンは自分の意志で物事を決めることに躊躇いを感じているのだろう。口惜しいことだ、養子として引き取ったのなら、こんな風に自分のしたいことを口にしにくそうにするような環境には置かなかったのに。
 ……仕方ない。エリサの機嫌を損ねて妻だけでなく娘からも風当たりが強くなってしまってはリンのためにならない。
「そうだ、リン、エリサ。ちょうど昨日貰って来た茶菓子があったんだ。ちょうどいいから私たち三人で食べないかい?」
「え」
「ほんとう?! パパ」
「ああ。ママはあまり好きじゃないマカロンをね。エリサは好きだろう?」
「好きーっ!」
 途端に機嫌を直した娘に心を和ませながら、戸惑うリンに向き直った。
「さあ、リン。お茶の時間にしよう」
「は、はい、分かりました、旦那様」

 この屋敷の中でエリサが一番お気に入りなのが、この中庭だ。妻の趣味である色とりどりのバラが咲き誇り、エリサの三歳の誕生日に与えた白いブランコもその美しい景観の一部となっている。
「ほら、リン。あーん、して」
 リンの瞳と同じ青のマカロンを小さな手で掴むと、そのまま彼の口へ押し付けるエリサ。それに対し再びリンが視線を彷徨わせ、私に救いの眼差しを向けて来た。
「あ、あの、ぼ、ぼくは……」
「リンはマカロンが嫌いかい?」
「い、いえ……食べたこと、ないだけ、です……」
 リンの返答に私より先にエリサが目を見開いてリンに詰め寄った。
「そうなの?! こんなに美味しいお菓子、リンは食べたことないの? 一度も?」
「は、はい、ごめんなさい……」
「なら、むしろ食べてもらいたいね。エリサと同じ物を好きになってもらえれば、エリサも私も嬉しいよ」
「そうよ、食べて、リン」
 私の言葉に何度も頷きながらマカロンを更に押し付けるエリサに、リンは恐る恐るマカロンの端に歯を立てて欠片を口の中に受け入れた。ゆっくりと咀嚼するその顔が見る見る内に緩んで微笑みに変わるのを見た途端、私は思わず彼を抱きしめたくなった。
 ああ、その笑顔だ、リン。
 一目惚れをしたあの時、私は君のこの笑顔を一番傍で見てみたくて君を買ったんだ。
「おいしい? リン」
「……はい、お嬢様」
「良かったな、エリサ」
 私の言葉にエリサがくすぐったそうに笑う。それにつられるようにまたリンが笑う。
 ああ、なんて素晴らしい一時だろう。まるで遥か昔に味わった初恋の味によく似た幸福感だ。
 妻が戻って来るまでのつかの間の時間だけれど、時折こうして娘とーー直接口にすることはできないが、息子のように思うリンとの時間を増やしていきたい。
「パパ、はい、パパにもマカロンあげる」
「ありがとう、エリサ。さあ、リンももっと食べなさい」
「はい」
 エリサにマカロンを口に運んでもらうリンの姿を、私は目を細くして見守った。

 ところが、その晩。
「ーーリン?」
 入浴後に小さくすすり泣く声に気がついた私が人気のない酒蔵の入り口へ足を運ぶと、そこで身を縮こまらせて俯いているリンの姿があった。リンの足下にある赤い絨毯には真新しい涙の跡があり、私が彼の顔を覗き込んだ時、その青い瞳からまた新たな雫が零れ落ちた。
「どうしたんだい、リン、こんなところで」
「あ……」
 私の声に驚いたように顔を上げたリンは慌ててしわくちゃになったシャツの袖で乱雑に自分の顔を拭う。けれどもその青い瞳が雫を落とすのは止まらず、当人も眉を寄せて苦しそうだった。
「……リン、こちらへ」
 リンの肩を抱き、私は酒蔵の扉を開けて彼を中に入れた。子どもにはあまり良くない環境だということは重々も承知だ。しかし、リンが泣いている理由として思い当たることに妻の彼に対する暴言があった。こんなところを見られたら、更に妻がリンに酷い言葉を浴びせるのではないかと思い、妻が寄り付くことはまずない酒蔵へ移動したのだった。
 慣れぬ酒の臭いに泣きながらも戸惑いを見せるリンに、私はしゃがみ込み、改めて問いかけた。
「リン、何があったんだい?」
「……」
「私には、言いにくいことかい? ……私はそんなに信用ならない人間かね」
「そ、そんなこと、ありませんっ」
 語尾を荒げてきっぱりとそう言ってくれたことが、ほんの少しだけ嬉しく感じた。
「私は誰にも告げ口しないよ。今、この時だけ、聞くだけだ。安心しなさい」
 怖がらせないようになるべくゆっくりとした口調でそう告げれば、ようやくリンが閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「……ぼくは、ぼくは……ダメな使用人、です……」
「どうして?」
「だって……こ、こんなに良くしてくれる旦那様やお嬢様に囲まれながら……家族のことが忘れられなくて……」
 再び嗚咽を零すリン。
 ……リンの家族、か。貧民層の彼らは生き抜くのに必死で、自分の子どもを身売りに出してまでしなければパン一つ買うのさえ覚束ないと言う。直接聞いた訳ではないが、リンが闇市で売られていたのは恐らくそう言った事情があるんだろう。そしてあの闇市で見た時、あの子は奴隷として売られているのが信じられないくらい凛として佇んでいた。きっと、家族の為に身売りすることに覚悟を決めていたのだろう。
 しかし、リンはまだまだ幼い。家族を恋しく思うのは当然だろう。私やエリサが家族のように接すれば接するほど、多分彼は何度も自分の家族を思い出して苦しむのだろうか。だとすれば、私の行為はただの残虐な行為じゃないか。妻の暴言と同じような苦しみを与えてしまうことになるのか。
 ……ああ、私はなんて残酷な人間だろう。
「……すまない、リン。私のせいだね」
「そ、そんな、違います、ぼくが……まだ家族のことを考えているせいで……忘れないとって何度も思ってるのに」
「いや、リン、それは違うよ」
 リンの頭を撫でながらそう言うと、リンが青い瞳を見開いて私を見つめる。
「旦那様……?」
「リンは家族のことを忘れちゃだめだ。お前が生まれ育った大事なものなのだから」
 それを含めてのリンに、私は一目惚れをしたのだ。
 そのまっすぐな思いを失わせるなど、してはならない。
「でも……」
「いいんだよ、リン。……その代わり、これからは君にとって辛いことがたくさんあると思う。私もエリサも、君を家族の一人として認識している。ベスも今は理解がないが、きっと長い年月の中でお前を家族として認めてくれる日が来るだろう。その間、私やエリサの言葉でお前を今日みたいに泣かせてしまうかもしれない。家族を思い出して辛い思いばかりさせてしまうかもしれない」
 だが。
「それでも、忘れないでくれ、お前の大切な宝を。そして、私たちのこともお前にとって家族だと思ってくれると嬉しい」
「……っ」
 再度溢れる涙を拭うことはできても、本当の家族の元へ戻してやることはできない。
 だけど、こうして私たちがリンの第二の家族になることができれば。それが例え今のリンにとってとても辛い幸せなのだとしても。
「リン、お前は大切な家族だよ」

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