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本の少年

僕がシヅルと出会ったのは、同じ保育園に通っていたときのこと。
 シヅルはいつも、腰まで綺麗に伸ばした黒髪を時折揺らしながら、そのふっくらとした桃色の指先でページを捲っていた。他の子がおままごとや折り紙などの遊具で夢中な中、彼女だけはいつも親が迎えにくるまで、ひっそりと本棚の右隣に空いたスペースにちょこんと座り込んで、ずっと本の世界に没頭するのだ。
 そのせいか、あの頃のシヅルはコミュニケーション能力の低い子と認識されていたらしく、先生達が度々友達の輪に入れようと必死になっていたのを薄ら覚えている。誘っても「ごほんがよみたいの」の一点張りで動かなかったシヅルの横に、ある時僕が近寄っていったんだ。
『いっしょに、よんでもいい?』
 シヅルは、ぱっと顔を上げて僕の顔をまじまじと見つめたあと、小さく首を傾げた。
『ひらがな、よめる?』
『ううん、よめない』
『じゃあ、わたしがよんであげる』
 ふわりと彼女の唇に浮かんだ花の微笑み、そして先生が語るよりもずっと聞き心地のよい柔らかな声音。
 僕の初恋は、ここから始まった。

 シヅルとはその後も小学校、中学校、高校と同じところに通った。
 相変わらず友達の少ないシヅルだったけれど、その本好きは変わらず、彼女は常に本と共に過ごしていた。
 そんな彼女のお気に入りは、外で本を読む事。
 例えば、校庭の傍のベンチ。例えば、中庭の一番大きな木の下。
 僕は、少しでも彼女と同じ気持ちを共有したくて、いくつもの本を手にして彼女のよく見えるところで本を読んだ。
 例えば、ベンチから少し離れたところにある積まれたタイヤの上で。
 例えば、中庭の、一番大きな木の近くで。
 保育園時代に読んだ絵本ならばともかく、挿絵がなく文字ばかりの本に最初は唸ってばかりいたけれど、気がつけば僕も自分の心の中に本の世界を持っていた。英雄が悪を絶つ冒険ものから、女性が男性の心を留める為にその命を奪う恋物語まで、彼女が読んだものは勿論、図書室にあるものは片っ端から読んでいった。
 時折、図書室で遭遇した彼女が、僕の持っていた本を見て、
『あ、ミツルくんもその本が好きなんだ』
 と頬を緩めてくれるのが、何よりの至福だった。
 だが、そんな大好きな彼女と僕は、積極的に会話することはなかった。むしろ、年を取るにつれてどんどん口をきかなくなっていったけど、すぐ近くで彼女が楽しそうに本を読んでいる姿を見る事さえできれば、それが僕にとっての幸いで。

 今日もその桃色の指がページを捲る傍で、僕もページを捲る。
 その幸せだけが続けばいいと、思っていたんだ。

 だけど、どんな物語にも終わりというものが必ず存在する。
 高校生最後の夏休み。塾に行く途中の本屋で彼女の後ろ姿を見た。
 昔から変わらない、腰まで伸びた黒髪が揺れて彼女の右隣にいる大学生風の男の腕に触れる。すると、男の手が彼女の頭にゆっくりと伸びて、優しく撫でていくのだ。
 彼女が笑う。その微笑みはまさしく、隣で絵本を朗読してくれた時のものと同じだった。

 夏休みが明けて、一ヶ月。彼女がこの中庭の、あの大きな木の下で本を読むことはない。
 それでも僕は、本を読み続ける。ただ、最近は恋物語を読むとどうしても胸がいっぱいになってしまって読む事ができない。まだまだ高校の図書室の本は読み終わってないのに。きっと、卒業してもしばらくは読めないだろう。
 ぱらり、とページを捲っていく。その音が心地いいものだと教えてくれた人は多分、もう僕の前には現われないだろうけれど、本だけは僕の傍を離れない。
 それで、いいことにしよう。
 ぱらり、ぱらり。
「あのー……」
 不意に声をかけられ、僕はページを捲るのを止めて声のした方を見上げた。
 揺れる茶髪のショートカットに、短く折ったスカート。ぶかぶかの制服の袖から覗く白い指と、見慣れた藍色の表紙の本。
 気弱そうに揺れた大きな瞳が、僕を見ている。
「あの、一緒に、読んでもいい、ですか……?」
 懐かしい台詞と共に吹き込んできた秋の風が、僕の額を優しくなぞった。
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みずたまふうりん

「なあ、おぬし、その水色の四角いのはそんなに美味しいのかえ?」

 ちりん。
 涼やかな音色と共に、唐突に現われたその幼女はふわふわのショートボブの白髪とお揃いの睫毛をぱさぱさ揺らしながら小首を傾げた。
 ……んん?
 俺は幼女の関心を集めているらしいモリモリ君ソーダ味を落としそうになりつつ、目の前の異空間に目を凝らす。何て事ない我が家の縁側に、幼女で白髪でずるずると薄い衣を引きずって、アホみたいに口を開けたまま固まる俺を不思議そうに見つめているという、異空間。
 つぅ、とモリモリ君の雫が、アイス棒を握る右手親指を軽く弾いて、俺はようやく言葉を発した。
「……食う?」
「おお、ええのかえ? わしは遠慮などせぬぞ」
「まあ、食べかけで良ければ」
「そんな小さなことを気になどせぬ」
「……で、お前、誰」
 ちりん。

「ツクモガミ、というのを知っておるか? 男の子(おのこ)よ」
「いや……っていうか、俺、オノコじゃなくて壮介(そうすけ)」
「簡単に言えば、人間の手で作り上げた物が長い時を経て神を宿らせたもの、分かるかえ、壮介」
「……かみさま、ですか」
 ちろりと右隣で一生懸命モリモリ君ソーダ味をがりがりやってる幼女、もとい、ツクモガミに目をやる。その背中に描かれているのは紅と黒の金魚が優雅に円になって泳いでいるもの。既視感にまさか、と思うと同時に、ツクモガミが答える。
「わしはのう、ここにずぅっと吊り下げられていた風鈴じゃ。しかもわしの持ち主たちはわしを四季問わずずぅっと下げておったからのう、自然に宿る神々の恩恵を受ける機会も多かった。それもわしがツクモガミになった要因じゃろう」
 そう言ってもう一度小さな口でぱくり、小さな欠片を咀嚼するその顔は実に幸せそうで何だか些細な疑問なんてどうでもいい気がしてくる。
「んむ、美味いのぅ。おぬし、幼き頃からずぅっとこの縁側でこの氷菓子を食べておったろう? わしはそれがとても気になって仕方がのうての、いつもおぬしを見ておったぞ」
「まあ、風鈴じゃアイス食えないもんな」
「それにおぬしは、あのじいさんによく似てるしのぅ」
「え」
 その言葉に問いかけようとした時、背後の障子が開く音がした。
「ただいま~……あー、暑い暑い」
「あ、お帰り」
「全く、扇風機もつけずに何してたの、壮介。縁側にいても暑いだけでしょ、お昼ご飯作るから手伝って」
「……へーい」
 母さんは縁側をちらりと見たけれど、ツクモガミについてはオールスルーだった。
 その後帰ってきた家族もまた、このツクモガミが見えた人間は一人もいなかった。

「お前、名前は?」
「ん? 名前、とな?」
 ぽっかりと空に浮かんだ満月を眺めながら、本日二度目のアイスを食べていたツクモガミは小さな手を頬に当てて首を傾げる。
「わしだけの名前、というものはないの。風鈴に名付ける者もおらんかったゆえ」
「ふーん」
「何なら、壮介、おぬしがつけるといい」
「え、俺?」
「んむ……そうじゃ。おぬししかわしは見えんしのう。おぬしの感性に任せよう」
「期待されても困るんだけど」
 ちゃぶ台に広がった現代文の長文読解に目を落とし、シャープペンをゆらゆら揺らす。その間もしゃくしゃく、とアイスを食べる小気味よい音が俺の耳をくすぐった。
 モリモリ君のソーダ味。確かパッケージは。
「ミズタマ……とか?」
「……おぬしの感性はちと微妙じゃのう」
「お、お前がつけろって言ったんじゃないか」
「そうだな。ではそれで構わぬ」
「いや、嫌だったらやっぱりなしでいいってば」
「嫌ではない。むしろ好ましく思っておるぞ。感性はともかく、名付けられるのは生まれて初めての経験だからのう」
 ふわり、と月光に照らされたミズタマの笑みは思わずこっちの頬も緩みそうなくらい嬉しそうで可愛いものだった。

「壮介、壮介。何をそんなに唸っておるのだ?」
 秋の長雨。いつもの縁側で、ちりんちりんと涼やかな音色を響かせながらミズタマが僕の顔を覗き込んでくる。
「この間の模試の結果……判定Cに落ちててさ」
「もし? おお、もしかするとおぬしがここでやっていた『宿題』という奴か?」
「宿題よりもっと厄介だよ。これじゃ俺、浪人するかも」
「ろうにん……それはおぬしにとってあってはならぬこと、なのか」
「まあ、ね。はあ……」
「まあまあ、そう重苦しいため息を吐くでない。こういうときはあれじゃ、モリモリ君ソーダ味を食べるのじゃ!」
「それ好きだな、お前。さすがに今の時期食うもんでもないと思うけど」
「美味い物はどんな季節でも美味いものだ。騙されたと思って食うてみい」
「……つまり持って来いってことだろ」
 俺は重い腰を上げて、冷蔵庫にストックしてあるミズタマ用のアイスを取りにいく。

 しゃりしゃり。舌がひんやりして全身がぷるりと震える。けど、ミズタマと二人並んで縁側に座り、季節外れのアイスを食べるのは悪い気分ではなかった。
「どうだ、美味いだろう、壮介」
「……冷たい」
「悩んでおる時にはちょうどいい。しゃっきり目覚めていいことずくめじゃ」
「別に眠い訳じゃないんだけどさ」
 しゃくしゃく。
「ふふ、おぬしの眉間から皺が消えておるぞ」
 小さな額に人差し指をあて、ミズタマがにんまり笑う。
 りぃん。いつもより澄んだ音色が秋雨の中に溶け込んでいくのを感じながら、ミズタマよりも一足先にアイスをがりりっと噛み砕いた。

 その後、俺は成績を向上させ、ついに合格判定Aを取る事に成功した。
 その喜びを誰よりも早く縁側にいる小さな彼女に知らせたくて、駆け足で帰って行くと、開けた縁側のところに小さな影を見つけた。
 俺がぐっと親指を立てると、ミズタマはにんまり笑ってぱちぱちと手を叩いて見せた。
 秋の、終わりの頃の話だ。

「よっす、ただいまー! 元気にしてたか皆の衆~」
 縁側の障子を閉め切ってしまう日々が続いてミズタマが残念そうにしていた冬のある日、俺の五つ上の荘太兄ちゃんが突然帰ってきた。
「今年は随分早く帰ってきたわね、どういう風の吹き回し?」
「いや、久々にユウと一緒に帰省しようぜって話になってさ。ごめんな、事前に連絡もなくて」
 とはいえ、兄ちゃんが帰省前に連絡を入れないことなど、最早今更のことだ。
 と、荘太兄ちゃんの背後からやせ形の男がひょっこり顔を出した。丸めがねと背中に背負っているくすんだ緑色のリュックが印象的なその男に、母ちゃんが目を丸くする。
「ども、お久しぶりっす、おばさん」
「あら、勇二郎くんいらっしゃいな」
「こいつがどうしてもウチに行きたいってんで、連れてきたんだ」
「まあまあ、顔を見に来てくれて嬉しいわ〜」
「ははっ、どうもっす」
 他愛無いおしゃべりをする三人をぼんやり眺めていると、ちりん、とミズタマが俺の隣にぺたりと座り込んだ。
「なあ、あれは誰だ? おぬしの兄は何となく分かるが」
「勇二郎さんだよ。兄ちゃんとずっと一緒の学校行ってた腐れ縁って奴」
 それにしても、勇二郎さん、昔は普通の体型だったのに、今は何だか人が変わったみたいにやせちまってるな。確か都会で骨董だったか美術だったかやってるって聞いてたけど。
 と、その勇二郎さんが唐突に俺の方を見たので、思わず頭を下げた時。
「……っ、やっぱりそうだ!!」
 どさり、とリュックを畳の上に落とすと、勇二郎さんは目を爛々とさせて俺を横切り、音もなくぶら下がった風鈴の前で立ち止まった。
「おいユウ、マジでそのボロい風鈴のことかよ? ウチにはもっと骨董品ならあるぜ?」
「ああ、本当だ。幼い頃に見た僕の記憶は正しかった。おばさん、荘太、壮介君。この風鈴はお宝ですよ!」
 勇二郎さんの言葉にミズタマ以外の全員が絶句する。当のミズタマと言えば、「誰がボロい風鈴じゃ、たわけ!」と頬を膨らませて怒っていた。

 曰く、江戸時代のナントカカンとかっていう天才的な職人さんが作り上げたもので、ミズタマはその中でも実在が不透明であった『金魚風鈴』と呼ばれたものだとか。破片は見つかっているが、こうした完成品としては未だに発見されていなかっただとか。
 俺だけじゃない、家族もみんな「亡きじいちゃんの宝物」という認識しかなく、そんなすごい代物だと思いもしなかった。だから勇二郎さんが鼻息を荒くしてこの風鈴がいかに歴史的価値があるのか語るのを、どこか他人事のように聞いていた。
「とはいえ、実際に文献等で調べてみなければ百%本物、と断定できないところがあります。だから調査は必要なのですが……あの、皆さんに、お願いがあります、僕にこの風鈴を売ってくれないでしょうか。お金は可能な限り出します」
 土下座して頼み込む勇二郎さんに、家族は皆顔を見合わせて困惑した。
「本当にこんな風鈴が……とても信じられないけどねえ」
「それにもし違ってたら、お前が損するだけだぞ」
「ああ、でも荘太、僕は自分の目を信じたいんだ。この先生の作品は僕の人生を大きく揺るがし、光を与えてくれた。その幻の作品を、僕はもっと調べてみたい」
 丸めがねの向こう側の熱意に、兄ちゃんが仕方ない奴だなとため息を吐いた。
「まあ、オレ達にとっちゃ家の飾りみたいなもんだし、じいちゃんの遺品とは言え、別になくても困らないよな、お袋」
「そうねえ。勇二郎くんにそこまで言われたら」
 二人とも勇二郎さんの頼みを受け入れそうな空気だ。俺はちらり、と隣のミズタマを見た。ミズタマは俺と勇二郎さんを見比べ、ふ、と息を吐いた。
「ま、ツクモガミと言えど、所詮物に過ぎぬ。おぬしにしか見えぬ神などその程度の扱いなのじゃ。所有者の決めることに従うのみじゃよ」
「……」
「ただもう、おぬしとアイスを食べたりあの縁側で寛いだりすることができなくなるだけで……それが僅かにわしの心をちくちくいたぶるがな」
 そのミズタマの一言が、俺の心を大きく動かした。
「俺は、反対だ」
「壮介?」
「壮介君……?」
 俺の言葉でみんなが一斉にこちらを向く。ミズタマも空色の瞳を瞬かせて「何故じゃ」と呟いた。
 何故、って今お前が言ったことが全部だよ。
「その、上手く言えないけど、俺、何かこの風鈴が人の手に渡るの、嫌なんだ。俺が生まれる前からずっとここにあるものだし、なくなったら、何だか心にぽっかり穴ができちまうっていうか……それに、じいちゃんも生前言ってただろ、この風鈴のある縁側で死ねたら本望だって。だから、風鈴がなくなったら一番がっかりするのはじいちゃんじゃないのか」
「あんた、よくそんなこと覚えてたわね」
「……そう言えば、そんなこと言ってたな、じいちゃん」
 懐かしそうに兄ちゃんが目を細めて、俺の頭に手を乗せる。
「何か、お前見てたらじいちゃんに怒られてる気分になってきたわ。確かにじいちゃんならそんなこと言いそうだな」
「……そうね。なんたって、この家を建てた時からあるって言ってたもの。おじいちゃんにとってこの家と同じくらい思い入れがあるのかもしれないわね」
 俺は勇二郎さんに向き直り、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。勇二郎さん、この風鈴は勘弁して下さい」
「……参ったなあ。まさか壮介君に反対されるとは思ってなかったよ」

 結局、勇二郎さんは風鈴を諦めてくれた。その代わり風鈴を写真に収めていった。その際、映りもしないのにしたり顔でピースサインをしていたミズタマに、俺が噴き出しそうになるのを必死に堪えたりした。

ーーそうして、閉じこもっていた冬が終わり、再び縁側を解放するようになった頃。俺はミズタマと一緒に「最後」のモリモリ君を口にしていた。
「悠長に食っていて平気なのかえ?」
「ん。これ食い終えるくらいの余裕はあるよ」
「まったく、おぬしはこれから独り立ちするのだぞ。気構えが足りぬのではないか?」
「そうかもしれないけど。ミズタマとアイス食うのだけは最後に絶対したかったからさ」
 しゃくり。ミズタマがくすぐったそうに笑う。
「次にこのアイスが食えるのはいつになるかのう」
「夏には帰ってくるよ」
「うむ、もちろんアイス持参での」
「分かってるって」
 アイス棒に残ったソーダ味の塊を一口で食べ終えると、中から現われた文字にミズタマが声を上げる。
「おお、なんぞ?」
「当たり、だってさ」
「当たるとどうなるのだ?」
「もう一本もらえる。けど、さすがにもう一本は腹にも時間的にもきついからな」
「では、わしが持っておこう。次に壮介が帰ってきたときに使えば良い」
「ん、じゃ任せた」
「任されたのじゃ」
 アイスの棒を縁側において、俺は静かに立ち上がった。
「んじゃ、行ってくる」
「行って来い。わしは、ずぅっとここで待っておるからな」
 俺が置いたアイスの棒にそっと手を重ねて、ミズタマがアイスを持った手を振った。
 ちりん、ちりん。
 遠ざかっていく春の縁側。笑うミズタマと、その手にしっかり握られた『当たり』のアイス棒。
 それをよく目に焼き付けて、俺は故郷に背中を向けた。

 春が終わり、また夏が来て。
 都会の太陽に焼き付けられて戻ってきた俺を、あの縁側で彼女が笑いながら手を振る。
 その日まで。

門扉の少女


 果ての見えない白塗りの門扉。何人も入れぬと言わんばかりに固く閉ざされたその扉の前に、一人の少女が佇んでいる。幼い顔に表情はなく、精彩に欠けたブラウンのツインテールは褪せたサテンリボンと共に砂嵐にまみれていく。それでも少女は薄い琥珀色の瞳を見開き、胸元に抱いた黒塗りのライフル銃の銃口を、砂嵐の向こうから現れた「敵」へ向けていた。
「……やぁ、お嬢さん」
「止まれ。止まらないなら、撃つ」
 少女の固い声音に、「敵」の男は鳶色の瞳を細めてぴたりと立ち止まった。
 褪せたジャケットの下は、拳銃一つぶら下がっていない。代わりにその首には鈍い輝きを放つカメラが一つ揺れている。
「進入しないというのなら、撃たない。さっさとこの地を離れろ」
「君しかいないのかい、ここの番人は」
「お前には関係ない。我が主の領地に無断で踏み込む者は殺せと命じられている」
「なるほど。そして君はその命に従って、その扉の向こうへ行こうとする者を容赦なく殺してきたわけだ。何人も何人も、ここで死んでしまって、遺体の大半は回収できずに砂嵐の彼方へ消えていった。君は、それを見続けてきたわけだね」
「それが、戦争だから。命を投げ打ってでも自国を守るのは当然のことだ」
 頑な少女の答えに、「敵」の男は深々とため息を吐いた。
「君は、可哀想だ」
「何だって」
「砂嵐の中、たった一人で何も知らずに自分の国を守り続けている。ただひたすら、自分の主の為に。何人をも死へと追いやり続けて。そして今も、その運命が正しいものだと信じ込んでいる」
「何が、言いたい」
「お嬢さん、君の運命は変わった。だって、戦争は終わったのだから」
 少女の琥珀色がますます険しいものに変わる。
「戯れ言を」
「生憎、嘘は苦手でね。僕は戦争というものがどういうものか、このカメラに収める為に、『敗戦国』である君の国へ来たんだ」
「嘘だぁっ!」
 かち、と乾いた音が響く。
 だが、それ以上少女のライフルは音を立てなかった。
 砂嵐の中、男は静かに少女へ歩み寄った。
「君は、この扉の向こうがどうなっているか、知らないだろう?」
「……」
「君はずっとここにいたんだろう。厚い壁の向こうでうっすらと聞こえてきた悲鳴や銃声を聞かない振りをして、来ない配給を待つために飢えをしのいで、君はただ一つの命令の為にずっと、ここにいた。けれど、もうその運命に身を委ねるのを止めないか」
「……」
「紛れのない真実を、僕と一緒に見よう」
 男の革手袋に覆われた右手が、扉に手を掛ける。
 途端に少女はライフルを投げ捨て、男の腕に縋り付いた。
「っ止めろ! 止めて!」
「……お嬢さん、戦争は終わったんだ。君の守るべきものはもうない」
「やだっ、やだあっ!」
「君はもう、孤独に身を投じて生きることを、止めていいんだ」
 少女の制止も叶わず、扉は開かれた。
 少女の体から力が抜け、つぎはぎだらけのスカートが砂にまみれる。
 男は少女の絶望に目もくれず、扉の向こうに広がるかつて「国」だったものの残骸にレンズを向ける。
「君たちの国が作ったこの壁は、どんな戦闘機を駆使しても破られる事はなかった。完全無敵の箱庭の中で、感染病さえ流行らなければね。しかも、未だかつて感染例のない、新種の病だ。君たちの国はどんな戦闘機でも打ち破れない壁を作り出す技術を持っていたのに、その新種の病を解明することはできなかった」
「……」
「この国以外で死んだ、君たちの国の兵士から採取した血液からその病が初めて公になったけれど、残念ながらそのワクチンどころか、実態は何も分からないんだ。ここに眠る死者たちをサンプルに、地道に解明していくしかないだろうね。それでも分かるかどうか」
 かしゃ、と静かにシャッターを切ると、男は蹲った少女の背中にそっと手を置いた。
「君はもう、十分戦った。もう自由になっていいんだ」
「……」
「ーーまあ、それが君の幸せかどうかは、分からないけれどね」
 かしゃ、と男は再びシャッターを切った。
 少女は沈黙だけが支配する自分の国を見つめ、声もなく泣いた。

変わらない夏へ帰ろう

「ごめんね、お姉ちゃん。急に呼び出したりして」
 美紅(みく)は腰まで伸びたロングヘアと、モノクロのボストンバッグを揺らしながらあたしの隣を歩く。ただでさえ背の高い美紅が白いミュールを履くと、頭一つ分の差が出来て、ちょっぴり悔しい。
「ホント、急なんだから。もう少し前もって連絡くれたら休み取ったのに」
「ごめん。どうしてもお姉ちゃんのところに来たかったんだ。その代わり、お姉ちゃんが仕事に行ってる間は私が家事するから」
「んー、ちょっと助かるかも。最近コンビニ頼りだったから、美味しい手作り料理が食べたかったんだよね」
「もー、お姉ちゃん相変わらず料理しないんだね」
「する暇がないだけ。今の仕事の残業がなけりゃあねえ」
 ぱたぱたと薄桃色のブラウスの胸元へ風を送ると、「お姉ちゃん、胸見えてる」と美紅が睨んだ。そういう美紅も白いワンピースが汗で透けてうっすらとキャミソールと下着の紐が見えている。
「ひとまず、そこの喫茶店入ろ。あつくってたまんない」
 
 香ばしいスパイスとコーヒーの香りの入り混じる店内は、あたし達以外は中年のおじさんやご老人ばかりで少しだけ窮屈さを感じた。美紅も同じ思いだろうか、とさり気なく視線を送ってみたが、褪せたメニューを面白くなさそうに眺めているだけで特に何も感じていないようだった。さすが都会暮らしが長いだけある……のかな。昔だったらきっと、あたしに困った顔を向けて、「ちょっと場違いかもね」なんて言っていたかもしれない。
 美紅が都会に行って九年。地元から離れないあたしと彼女の間には、見えない壁がいくつもできた。地元にいた頃なら当たり前のように打ち明けていたことも、都会に出た途端、あたしの「最近どうしてる?」メールにすら無反応。電話だって滅多に出なくて、留守番のお決まり文句の向こうにいるはずの美紅がどんどん遠ざかるのを実感した。これが年を取るということ、仕方ないのだと思っていた。
「お姉ちゃん、何にする?」
「んー……果汁百%オレンジジュース」
「相変わらずお茶やコーヒーは飲まないのね」
 美紅がピンク色の唇に苦笑を浮かべて、傍を通ったウエイトレスにオレンジジュースとブラックコーヒーを注文した。
「コーヒー熱くない?」
「ホットじゃないと、逆に落ち着かなくって」
 肩を竦めて大人っぽく微笑む美紅。白い指が水色のグラスに掛かると、こん、と微かに薬指に嵌められていた指輪が音を立てた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんってさ、変わらないよね」
「そう?」
「うん。羨ましいな」
「なぁに、それ。スタイルも人生の充実度も美紅の方が上じゃないの」
「ううん、そんなことない。私は、変わりすぎて疲れちゃったよ」
 からん、とグラスの中の氷が音を立てる。
「疲れたって、何が」
「全部。向こうに行って、叶ったこともたくさんあったけど、ソレ以上にすっごく疲れちゃって、全部いやになったの。私が私じゃなくなりそうで、怖くて怖くて、逃げ出して来たの」
「何かあった?」
「……明確に劇的な何かがあったわけじゃないんだけどね。ただ、衝動的に全部捨てて、向こうに行く前の自分に戻りたくなった……って感じかな」
 曖昧な言葉にあたしの眉が寄っていく。けれど、美紅は「そんな心配するようなことじゃないから」と首を振るばかり。もやもやとした不安を抱えたまま、何事もないようにそのすらりとした体のどこかへ隠して溜め込む。
 あたしには、もう話してくれないんだろうか。昔だったら、好きな男の子を真っ先に教えてくれて、その恋の一喜一憂を二人で楽しんだのに。今みたいに嘘を隠し通すことなんてできなくて、すぐにあたしに泣きついていたのに。
「そんな顔しないで、お姉ちゃん」
「だって」
「お姉ちゃんはただ、昔みたいに私と一緒にいて、他愛無いお話をたくさんしていて欲しい。ここから遠い向こうのことなんて忘れるくらい、昔のままで」
 思い出したくないの、今は。
 美紅はそう言って、一瞬だけその唇を歪ませた。
 
 変わってしまった。そのことだけが確かなこと。ただ変わっていないのはあたしが姉でこの子が妹という事実だけ。そしてあたしと彼女の昔の思い出だけが、褪せたメニューのようにラミネートされたまま、ひっそりとここにある。
「分かった。じゃあ美紅。ここにいる間はとことん付き合ってもらうからね」
「え」
「今の話はできなくても、昔の話なら山ほどできる。でしょ。アンタの中にも変わらないものがある思い出をさ、久しぶりに姉妹水入らずで語り合おうじゃない」
「……うん」
 こくりと頷く美紅の前にはホットコーヒー。対するあたしの前にはオレンジジュース。
 久しぶりの再会に、まずは乾杯を。

更新一日遅らせます。

雑記はえらく久しぶりです。
気がつけば八月で、もうじきコミケで…夏が後半戦だなんて…!
ピクシブで開催されていたオリ小アワード上半期も大賞が決定していたりと、あっという間に日々が過ぎ去っていくことに戸惑いが隠せません。まだ大賞も何も読んでないよ!という方は是非一読を。読み応え抜群です。
あと、一件合同誌に参加させて頂いたりしております。また後ほどお知らせしたいと思ってます。

タイトル通り、本日の更新分は明日に回します。最近結構日付変わる直前、直後に更新が多かったので、今回は前もって日を跨ぐ宣言です。緩い感じでぽんぽん短編ばかり上げてるブログですが、週一更新だけはこれからも守っていく方針です。見守って下さっている皆様、これからも是非よしなに〜。

花火と恋と

※男性同士(男の娘同士)の同性愛要素があります。

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